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匝瑳市祇園祭百考
管理人の当祭に関する勝手気ままな感想などです、間違いの指摘歓迎、興味ない方は飛ばしてください
匝瑳市祇園祭の概要 祇園祭の概要については多くのサイトでの説明があるので簡単に記しておきます。
【発祥】元禄十年(1697)の頃、【神輿の登場】】、正徳三年(1713)頃、
【囃子が登場】特有のお囃子が登場するのは明治中期以降。
【連合渡御の開始】町おしの紛争が絶えず防ぐため大正時代から神輿連合渡御を開始
【神社】匝瑳市中央地区の八重垣神社、本家は
は島根県松江市だそうだ。
【氏子】神社を中心とした十町で運営、輪番制により年番町がその年の祭を仕切る。
 東本町・西本町・横町・福富町・萬町・田町・上出羽町・下出羽町・仲町・砂原町の十町
 各町の戸数はは約25軒〜300軒以上と戸数にかなりの差がある。
どんな祭か:特徴一
囃子のリズムで神輿を担ぐ
祇園祭といっても京都に代表する山車型のコンチキ・チンというお囃子の品の良い祭ではない。海に近いこともあり漁師町型の神輿中心の激しい喧嘩神輿を源流としている。どちらかというと江戸型の神輿に各町が神輿とそれを担ぐためのリズム専門の徒歩囃子軍団を配し自身も観客も独特の掛け声を掛けて水を浴びせ盛り上げる。神輿・囃子・観衆一体型の特徴的な祭。従って、全国でもあまり例がないため写真では雰囲気を伝える事はできない、音声付動画なら多少伝える事が出来るようだ。
特徴二
女神輿
女だけが担ぐ神輿はイベントとして全国にいくつかあるようだが10基揃う女神輿はあまり聞かない、歴史は浅く十数年前に2町内で始めたものがぼつりぽつりと増え今では十町が出揃うようになり初日のかかせない一大イベントとなっている。揃いの粋な袢纏姿は女性特有の優雅さと美しさがあり周囲でサポートする男性集団との調和は見ていても楽しい。
祇園祭の原動力 当祭のエネルギーは一言でいえば信仰心というより各町のライバル意識がパワーの源となる。年番制である以上、年番町は他町に負けまいとすさまじい結束力を発揮する。地方の例にもれず過疎化や商店街の空洞化の進む当市において、時にはそんなパワーがどこにあったのかと思える程の寄付金が集まりそれを投入して華麗さとパフォーマンスを競うという見栄っ張りな江戸っ子気質が原動力。
行政からの費用援助をほとんどあてにしないのも各町の気概を感じる。
第2の原動力 当祭は大変乗りの良い囃子に乗せて神輿を揉む(担ぐ)屋外ディスコ型のパフォーマンスに身を置けるため、十町の住民以外の周辺住民や中高生・関東各地からの参加希望者も多い。各町ライバル心により自町を盛り上げてくれる参加者をどの町も挨拶ひとつで呑み食い放題で歓迎する、従って仲間が仲間を呼び同好会が生まれふくれあがる。このオープンなシステムが第2の原動力となる。
見るより、やる祭 地方の柔和で純朴な住民が年に1度だけは大っぴらに酒気を帯び囃子のリズムに乗って大声を上げ神輿を揉み跳ねる、それを誰もがとがめずはやしたてる全町公認の大無礼講。時には小さな喧嘩も祭の花と皆フトコロが深くなる、なので見るよりやる方が断然楽しい。
ちと心配な事など 以下は私的な意見で間違っているかもしれません、ご批判・ご意見は遠慮なくお寄せください。
観光よりおらが町内 「やる祭」の故に無中で自町の盛り上げに専念する結果、祭全体を観察する目がなかなか育たない。観客が多い場所ではより高揚しながらも祭を観光に貢献させようという声は上がりにくい。連合渡御といっても昼間は各町の都合が目立ち各町の間隔があいてしまい20基以上の壮観さを期待して来た観客やカメラマニアには評判が悪い。各町ライバル意識の弱点かもしれない。より盛大勇壮な祭に育てるには年番町をサポートする客観的に総合プロデュースできる連合組織が必要かもしれない。
警察署と祭 年番町が最も神経を使うのが警察署との交渉である、時間を守る事はもとより国道を渡る時や交通規制の範囲など細かく規制され、双方の立場の違いで交渉がうまくいかない時もある。なにしろ道路を占領する祭なので「許可しない」と言われれば祭そのものが成立しないので従わざるを得ない。そのため年番町は時間を守る事に神経を使いどんどん進み、あまり責任のない他町は遅れたりして神輿の間が開いてしまう(なにしろライバル意識があるので)結果、連合渡御列がダラダラと長くしまりのないものになる。やはり十町の総合組織と杓子定規ではない警察署とのオープンな話し合いがよりスムーズで安全な見栄えとキレの良い祭になると思うのだが。
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